アーカイブ: 2023-10-21

[お知らせ]陶芸コース専任講師着任/かのうたかお

みなさん、初めまして。2023年度から、京都芸術大学通信教育部陶芸コースの専任講師に着任しました、「かのうたかお」です。よろしくお願いします。

新人の講師が来たということで、名前を見て、まずはネットで検索された方もおられるんじゃないかと思います。で、出てくるのは怪しい風貌の写真ばかり。なんだこいつは?と思われた方も多いと思います。決して怪しいものではありませんので、まずは自己紹介を。

1974年、京都の生まれです。生家は陶磁器を生業としている家で、叶松谷(ご存じの方もおられるかもしれませんね)という窯元です。少年時代から、決して運動神経は良くないものの、走り回ったりイタズラしたり色々な事に手を出すのが好きな子供でした。その頃から時々、仕事をしている祖父や父の後ろで黙々と土を触って何かを作ったりもしていました。

そのまま小中高と、順調にスクスクと成長し、京都精華大学美術学部造形学科陶芸に入学し、陶芸を学び始めます。学び始めたはいいものの、大学生活を楽しみ過ぎて、部活やバイト、学業以外に力を入れている、そんな典型的な大学生でした。楽しい学生生活も4年目を迎え、モラトリアムをさらに楽しむために大学院を受験しようか、なんて考えていた時に、高校時代からずっと気になっていた『青年海外協力隊』の存在が改めて大きくなってきて、とりあえず応募して受験。結果は運良く合格で、それまでの自分の人生でも聞いたことのなかった西アフリカのニジェール共和国という国へ赴任することに。自分の中ではこの協力隊での2年半が大きな経験となりました。

任期を終えての帰国後から、実家の工房の一画を使わせてもらいつつ自分の制作をはじめるのですが、この時に、大学4年間で真面目に陶芸と向き合わなかったことを大いに後悔し、技術や知識など、必要な事を少しずつ身につけていきました。

自分の作品の制作や売り込みなどをしながら作家活動が始まっていきました。当時は自分の作品だけではなく、作家さんの制作のお手伝いや展示のお手伝い、窯焚きなどにも押しかけて行ったりしていました。そんな中、母校の京都精華大学からお声がけいただいて、助手になり、僕の教員生活への道が始まりました。その後は色々な大学や専門学校で非常勤講師の仕事を続けたのですが、陶芸の授業だけではなく、大きな意味でのデザインについての授業なんかも担当していました。

こういった様々な経験をしつつ、今年度より京都芸術大学通信教育部陶芸コースの専任講師に着任しました。

少し、作品の話もしておこうと思います。
作品は造形的な作品や日常使いの器など、様々なものを作っています。
その中でも、僕の代表作と言えるものが「天アリ」というシリーズです。壺の形をしたものは「壺中天アリ」、茶盌の形をしたものは「掌中天アリ」といった様に、対象によってタイトルは少し変わるのですが、この「天アリ」のシリーズが僕の作品としてよく知っていただいていると思います。このシリーズは、粘土ではなくシャモットを用いて作られている作品です。シャモットを焼き固める事で塊状のものとなっており、塊としてその形が何であるか、は認識できますが、外部と内部が絡み合い、不思議な造形となっています。社本が材料という事で、いわゆる陶芸作品とは違った表情になっています。
他にも、野焼きのシリーズや、蓄光素材を焼き付けたもの、陶にメッキを施したものなど色々と取り組んでいます。既存の価値観にとらわれない事や実験的な事なんかが大好きで、自分の作品の中にもそういった要素が含まれていると思います。

色々な事に興味を持って、色々な事に手を出して、失敗も多い僕ですが、僕だからできる様な考え方でこれからの陶芸コースを盛り上げていきたいと思っています。
まだまだ至らない事はあるかと思いますが、よろしくお願いします!

  

[お知らせ]陶芸同窓会 会長就任ご挨拶

この度、前任の鬼束鐵二郎氏より、引継ぎ陶芸同窓会の会長に就任いたしました嶋田ケンジと申します。

私は、98年度に通信一期生として入学し、通信大学院、そして現在、非常勤講師と、長く陶芸コースに関わらせていただいており、非常に感謝と愛着を感じております。

微力ですが、陶芸を通じて何か面白いこと、皆様と共に楽しめること等を新たな役員メンバーと共に推進、活動して行きたいと考えておりますので、皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2023年9月吉日

 

[会員レポート]「黒田村アートビレッジと私」

田村早織(2019年度 通信陶芸大学院修了生)
 

 私の大学院の修了研究は「野焼き」でした。きっかけは2017年卒制黒陶焼成実習で黒田村アートビレッジを訪れた際に、中野先生がトタン板を巻いただけの窯で作品を焼成しておられたことでした。「それで焼けるのですか?」「・・・どうやろう?」。 結果は生焼けでした。

 翌年大学院に進んだ私は同窓会の「楽制作会」に参加し再びアートビレッジへ。空気の供給を改良したトタン窯に再度作品を入れていただきました。点火から10分後、一気に燃え上がった窯からパン!パン!と作品が破裂する音が響きました。結果はとってもよく焼けていましたが、作品はバラバラでした。

 この爆発が私の陶芸人生におけるエポックメイキングな出来事になりました。自宅に帰った私はすぐに爆発した原因と改善点をレポートにまとめて先生に提出し、図書館やネットで野焼きの資料を集めて何パターンかの焼き方を提案、アートビレッジでできるのはどれかを質問しました。ちょうど2カ月後にアートビレッジで学部と大学院合同の黒陶焼成実習の予定があり、焼成するチャンスがあったからです。そして清水先生のご理解の下、中野先生と学友達の助けを借りて焼成した私の最初の野焼き窯は、拙い焼きながらも手応えのあるものになりました。実はその頃の私は、自分の作品は土で作品を作り上げた時が一番で、焼いたり釉薬をかけたりするほど魅力が無くなるといつも感じていたのです。それでも焼くことのメリットも手放したくないしともがいていた時に、野焼き焼成によって初めて魅力が増したと感じられる作品が焼けたのです。修了制作は「野焼き」しかないと心に決めた瞬間でした。

 しかしすぐに問題に直面しました。大学院の研究であっても個人でアートビレッジの利用はできず、大学でも自宅でも煙を出すことは許されない環境でした。研究しようにも野焼きをする場所がなく私が窮地に陥った時、現れた救世主が陶芸同窓会でした。

 研究、学習会目的限定で同窓会員が企画書を提出して同窓会が承認し条件をクリアーすれば、グループでのアートビレッジの利用ができるという規約があったのです。これは同窓会が数年にも渡って大学側に働きかけを続けてやっと認められたもので、私は先輩たちの努力の恩恵を受けて野焼き研究会としてアートビレッジを利用しての研究を続けることができ、無事に大学院を修了することができたのです。

 黒田村地元住民の方々のご協力を頂けていることも幸運です。煙が出る焼成の承認だけでなく、焼成に必要なもみ殻や、薪などの木材の提供までしてくださいます。大学施設としての管理や研究に対する助成も整った環境で、本当にありがたいことです。

 大学院修了後もこの研究会は続けさせていただいて、昨年私は野焼き作品だけで個展を開催することができました。さらに最近新たな研究仲間にも恵まれて、今後も仲間と切磋琢磨しながら可能なかぎり制作、研究を続けていきたいと願っています。黒田村に感謝!ビバ!アートビレッジ!です。

 

[会員レポート]「初まりはアートウェーブ展から」

瓜生山同窓会美唄支部 支部長 五十嵐 伸幸
 

陶&染織コースを卒業した全国の仲間が作品を持ち寄り、楽しく交流し、喜びを分かち合う機会を作りたいとの願いから2005年度卒業生3名を中心に4名で2006年「アートウェーブ展」を立ち上げました。

会場の「アルテピアッツァ美唄」は、世界で活躍する美唄出身の安田侃氏の彫刻が点在する美しい公園です。公園内にある木造校舎の二階には自然光の降り注ぐギャラリーがあり、皆で作る展覧会を想像するだけで気持ちの高まりを感じざるをえませんでした。初年度は15名、回を重ねる毎に参加者は増え、第4回展では、陶芸19名、染織12名を数えるまでになり、陶芸コース林秀行先生、染織コース久田多恵先生をお迎えし、講評会や交流会に参加して頂き、穏やかで有意義な1日になりました。

この頃には、市民の方々からの反響もあり、ワークショップへの参加や歓迎会開催、陶芸グループの賛助出品や会場設営、当番のお手伝いなど地域の皆さんとの幅広い繋がりが出来るようになりました。第5回展開催に当たり、より充実した内容にする為に瓜生山同窓会との協議を深める中、当時の副会長早野素子さんから「瓜生山同窓会美唄支部」の立ち上げをご提案頂き、全領域の会員を対象にする展覧会へと発展する事となりました。

2010年に美唄支部を設立し、「アルテピアッツァ美唄」では陶芸・染織を、札幌「ギャラリー門馬」では北海道在住の陶・染織以外を対象に展覧会を開催しました。第6回展以降もワークショップ指導教員の招聘や教員の出品を要請し、更に充実した内容の展覧会にすべく、運営スタッフと共に努力して来ました。

しかしながら回を重ねるごとに様々な問題が起こり、それの解決に向けた話し合いを行った結果、残念ながら離脱されたメンバーがいたことも事実です。一時は支部解散も頭を過ぎりましたが、スタッフや展覧会を待ち望んでいる会員の皆さんに励まされ、継続する事となりました。

2013年第8回展から名称を「BIBAIでアート」に 札幌展は「京都造形芸術大学教員と北海道OB展」として再スタートしました。2016年からは道外参加者の減少もあり、6年間継続した年2ヵ所での展覧会を一つに統合して「BIBAIでアート&京都造形芸術大学教員と北海道OB展」としました。コロナ禍での開催は延期になりましたが、今年は昨年リニューアルオープンした「GALLERY MONMA」で前後半に分けての開催となりました。

今後も可能な限り展覧会の継続と会員相互のより良い関係を築く為にも状況の変化に対応できるよう柔軟な発想でしなやかさを失わず、進んで行きたく思っております。また、これまでの展覧会に出品して頂きました先生方にはこの場をお借りして心より御礼申し上げます。先生方が作品を通して私たちにエールを送り続けて頂いた事、何よりの励みとなっております。ありがとうございます。

 
 


設立当時2006年頃/美唄アルテピアッツァ
 


2013年 美唄アルテピアッツァの展示風景
 



2015年 柴田純生のワークショプ スプーンを作る
 


2023年 Gallery MONMでの展示風景

[会員レポート]清水六兵衞先生退任記念講演会に参加して

谷口文子(2018年度 通信陶芸大学院修了生)
 

 まだ名残の桜が窓から見える「ウィングス京都」のセミナー室で4月8日、清水先生の退任記念講演会がありました。ご来賓に中ノ堂一信先生、竹村智之先生、叶貴夫先生、清水先生の奥様の清水修子様、恵風オーナーの野村恵子様を迎え、嶋田ケンジさんと田中哲也さんお二人のユーモアあふれる司会で終始楽しく進みました。

 清水先生の生まれる前の戦前の五条界隈の写真を見ながら、当時のやきもの屋の様子や代々続いてきた清水家の様子を伺うことができました。そしてその八代目として生まれたにもかかわらず、幼いころから家族の誰からも陶芸家になるようにと勧められたり、強制されることもなく自由にお育ちになったようです。そんな中、高校生の時に大阪万博でのパビリオンを見て、建築に魅かれていったそうです。その後、早稲田大学で建築を学ばれ、お父様の清水九兵衞さんとポルトガルに旅行した時は大いに建築への刺激になったということでした。きっと素晴らしい旅だったのだろうと思います。

 では、なぜ陶芸家になったのでしょうか。それは建築ではその一部にしか関われないけど、陶芸は一から十まで全部自分が関われるからだと聞いて、なるほどと納得しました。それで先生の作品は建築の要素と土の持つ柔らかさと焼成のときに生じるたわみで以って表現され、唯一無二のものになっているのだと思いました。

 先生のお人柄で和やかで穏やかで楽しい講演会となりました。100人近い参加者がありましたが、あちこちらから穏やかで楽しかった、参加してよかったという声が聞こえました。

 講演終了後、22年度で退任された竹村智之先生に同窓会から心ばかりの感謝の気持ちをお伝えすることができたのも、繋がりを大事にする陶芸コースならではの心温まるシーンでした。清水先生、竹村先生、長きに渡りお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

  

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